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  <title>不可能性の問題</title>
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  <description>不可能性の形而上学の創作。九鬼周造を改造しつつ埴谷雄高の〈虚体〉概念を哲学的に証明してみましょう。</description>
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  <title>天地創造の永劫回帰　III</title>
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  <description>「天地創造の永劫回帰　II」のつづきです。</description>
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  <title>天地創造の永劫回帰　II</title>
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  <description>「天地創造の永劫回帰」の続きです。</description>
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  <title>天地創造の永劫回帰</title>
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  <description>1997年に書いた詩みたいなものです。</description>
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  <title>タンゲレ1994年版（未完）　第一章　夜鬼逍遙　1-1</title>
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  <description>まるで今も蝋の涙を流しながら泣いている鬼の首のように見える。髑髏の口に大きなメダルのようなものが銜えられ、下顎の手前に金属の三日月が供えられている。髑髏の折れた角のような蝋燭の後ろの壁に聖母子のイコンと観音像が飾られている。それは明らかに奇妙な呪いか祈りがなされた跡のようだが、祭壇の余りの無気味さが、背後から見下ろす優しげなマリアの顔にも穏やかな観音菩薩の顔にも相応しくないように見える。

　百目鬼はこの祭壇の写真を撮った。

　プラットフォームに降りるともう真っ暗で、ガーゴイルグラスの赤外線補助暗視装置〔ノクトヴィジョンスコープ〕の限界を越えている。

　「何も見えないな」
　「今、電気をつけます」

　少年はペンライトを点け、電源ボックスを照らした。百目鬼はサングラスを外し、少年のすることを見物する。腰ベルトに付けた金属ポシェットから工具と差込式キーの沢山ぶらさがった鍵束を取り出し、呆れる程さっさと蓋を開けて中身を弄る。慣れた手付き。忽ち照明が蘇る。

　ほう、百目鬼は感嘆した――思ったより清潔じゃないか。

　実際プラットフォームにはゴミ一つ落ちていない。せいぜい床のあちこちに亀裂が走っている程度だ。水漏れやリノリウムの剥落はあるものの、異常に小綺麗なのだ。人気は無く、深閑としてはいるものの、ここが本当に廃墟の中なのだとは思われない。今もし乗客を満載したメトロが突然入線してきたとしてもおかしくはなかった。

　向こう側のホームの古ぼけた広告灯のなかにまで明かりが灯り、色褪せたウエディングドレスの娘がドライフラワーみたいに枯れた色調になってしまった赤い薔薇のブーケを振っているのが哀れを誘う。

　「こんなところにまで清掃局が来てくれているのかね」
「まさか」少年は口の端を歪めた。「ここは連中の聖地の一つなんですよ」
　「連中、というと？」
「あの、地上〔うえ〕の魔法陣(〔カメア〕も連中が造ったんですよ」
　「だからその《連中》というのは何なんだ？　――アンディーズか？」
　「アンディはこんなとこまで面倒見ちゃくれませんよ」少年は嗤った。「確かに清潔好きですけどね……」
　「空調〔エアコン〕も働いているみたいだな」
　「ええ、一年中、休みなしにね。ここは空気がすぐ悪くなるから……さ、行きましょう」少年は先に進みながら言った。その肩越しにホームの突き当たりを見遣ると、モスグリーンの防水布に包まれたかなり大きな物体があり……

　百目鬼は、突然、愕然と立ち竦む。

　まず視界に飛び込んできたのは、両腕を大きく広げた裸形の男の姿だった。その蒼白い餓鬼の如き痩躯には、腰に白い褌が一枚だけこびりつくように巻きついている。亜麻色の髪に茨の冠。鈎鼻と窶れた顔。苦悶を深く刻んだ眉間の縱皺に血のかすかな渓流が通り抜け、怯えた子供のような眸が何かを凝視している。口髭と顎髭の間の口も泣きじゃくる子供の口元そのまま、今にも嗚咽が聞こえてきそうだった。

　それは図像だった。その姿は壁面に等身大に描かれている。よく見ると男は十字架に掛かっており、両掌の中央を狙って太い釘が打ち込まれている。足元に大勢の絶望的に泣き叫ぶ群衆達。

　――キリストだ、百目鬼にはやっと分かった。それは確かにキリストの絵に違いない。日本画の筆致、それともまたチベットの仏画を思わせるような線の運びで描かれているが、これは確かにキリストなのに違いない。すぐにそれがキリストの絵であると飲み込めなかったのは、しかし、絵が下手だったからではなかった。

　それどころか、現実の事物とは掛け離れた描線で作り出されていながら、強烈な迫真性をもって描かれたその強く歪んだ表情が、百目鬼をして一瞬それを実在物と錯視させるには十分な生々しさを持っていたのである。寧ろその生々しく描かれた苦しげな顔、神聖さも、天国への希望も、威厳も崇高さもなく、ただ哀れに泣き苦しんでいるだけの、虐まれる幼児そのままの無力さ、打ち棄てられた孤児のごとき絶望感、見ているこちらを引き摺りこみそうな程の恐怖に揉みくちゃに踏みにじられたその表情こそが、通常抱かれるキリストのイメージとは余りにも掛け離れていたからだった。

　そこにいるのは神人ではなかった。われわれと同じく、弱く、無様で、恐怖に打ちひしがれ、己れを見失ってしまうありふれた凡夫の磔刑図であり、崇高な犠牲も再生の予感も天国の開示もなく、男はただ十字架に、十字架が生え根付いている地上に、恐慌と混乱と悲鳴の波に揉まれのたうつ地上の愚かな群衆達の許に縛り付けられていた。

　百目鬼は美術には疎い方だったが、昔、新聞記者時代にヨーロッパを巡り歩いたとき、やはりキリストの磔刑図に強いショックを覚えたことがあった。題名は忘れてしまったが、作者の名前は覚えている−グリューネワルト。それは恐ろしい磔刑図で、キリストの躯は、細かい傷や刺さった棘や痣でズタズタにされていた。キリストは、瞑く目を閉じ、ガクリと首を項垂れ、その頭上に戴く茨冠が異常に大きく重そうにのしかかっており、そのずっしりとする重さが、十字架の男が死んでしまっていることを、拷問され、痛め付けられ、孤独なまま殺されてしまったことを雄弁に物語っていた。そこには復活の予感はなく、どっしりと重い死の厳粛なリアリティが圧倒的に居座っていた。キリストは死んだ。決定的に死んだのだとその絵は告げていた。

　だが、グリューネワルトのキリストには、まだしも偉大さが、崇高さが、そして力強さがあった。そこには確かに人類で最も偉大な男の死に様が写されていた。つい先程まで、男は生きていた。満身創痍の激痛に耐え、信じられぬ程の精神力で天を仰ぎ、強い眼光で姿なき神を見据えながら、はっきりとした語調で「神よ、神よ、何故私を見捨てるのか」と抗議していたのに違いない。男は確かに死んだが、それは偉大な死であり、十字架は巨大に聳え、男の栄光は、何もしなかった神のそれを追い抜いて、天高く差し昇る。男の偉大な戦いを厳粛な死さえもが讃えているように思われたものだった。

　しかし、今、百目鬼が目にしているのは、死の厳粛な重圧によって証明されてしまった復活の不可能性ではなく、それとは別種の仕方でのキリストからの神性剥奪の光景だ。キリストに襲い掛かっているのは、死ではなく、釘打たれた両手両足から来る激痛でもなく、絶望だった。十字架はキリストに死を齎すものというより、天から地に引き摺り降ろし、死をすら彼から剥ぎ取るもののように見える。寧ろ彼から自由を奪うためにだけ磔が行われたのだ。壁画のキリストは明らかに十字架から逃れようと渾身の力でもがき苦しんでおり、顔は天を向いておらず、左下方の地上にある何かに縛り付けられている。その顔には怒り、悲しみ、恐怖、絶望が所狭しと犇き、口は呻きとも叫びとも嗚咽ともつかぬ歪んだ形に悶えている。キリストは神を見ておらず、神がいるとさえ思っていない。だから、《エリ・エリ・ラマ・サバクタニ》というあの大いなる発言がなされる余地はこの壁画のどこにもないのだ。十字架は黒い闇に沈んでそれ自体もどす黒く塗り描かれ、足元に狂乱する群衆のパニックは、辿ると、昇る竜の躯のようにうねりながら、十字架を迂回して、キリストの頭上に大きく描かれる、崩れ、とぐろ巻く炎と、溢れる洪水に滅亡してゆく巨大な都市のなかに呑み込まれてゆく。それは世の終わりの光景だ。神はキリストを見捨て、キリストごと世界を滅亡させようとしているのか？　明らかに画家の意図はそこにあるようだ。

　崩壊する都市のなかには、いくつも百目鬼に見覚えのある建物の形や都市の形があり、既に現実に崩壊してしまったものもまだ崩壊していないものも含まれていた。バベルの塔に、ギザのピラミッドとスフィンクス、ホワイトハウスにエンパイアステートビル、メッカのカーバ神殿にインドのタージマハル廟、イェルサレムの聖墳墓教会、ヴェネチアとおぼしき円蓋の屋根、北京の紫禁城、かつて新宿の名物だったという東京都庁、それに現在のローマに威容を誇る地球最大の壮麗な建築物にして、現代サイバーバロック建築様式の最高傑作であるテトラグラマトン大聖堂……。それらが同一の崩壊する渦のなかに巻き込まれ、一個の破壊の渾沌が不可思議にも作り出した名付け得ぬ象徴的な巨大都市の幻影のなかに組み込まれてゆく……。見方によれば、逆に炎と洪水と落雷とパニックのなかから、こうした古今東西のすべての都市を一纏めに掻き集めた謎めいた集合体が今生まれようとしているところのようにも見えなくはなかった。それは確かに戦慄を覚える凄まじい破滅のスペクタクルだったが、この壁画を描いた名も知らぬ謎の画家の天才が、破滅のなかから立ち上がる何か全く別の荘厳華麗なものをその壁画の裏地に一瞬予感させてしまう−そんな危険な恍惚感がこの巨大な、天井にまで広がる《最後の審判絵巻》には漲り渡っていた。

　目をキリストに戻し、ふと、キリストの視線を辿ると、やや離れたところになお別の絵が描かれているのに気付く。

　それは、見るからに一匹の巨大な魔物だった。全身がやや銀光沢がかったオリエンタルブルーをしていて、大きな狂ったような丸い三つの目に、耳まで裂け、全てが象の牙のように長い歯列を剥き出した大口を開き、ベロリと長く舌を垂らしている。その貌はバリ島の異様な神や魔物の仮面に似ていたが、測り知れぬ邪悪さと冷酷さを湛えていた。口元からは汚い緑色の涎を垂らし、そこからその生物の乱れた臭い息遣いや薄気味の悪い嗤声が今にも聞こえてきそうだ。毛むくじゃらの爪の伸びた四本の腕は異常な程筋肉が発達しており、六本、七本、四本、三本の各々数の違った指で、一人の犠牲者を拿んでいた。それは見たところ男の子で、まだ死んでいるようには見えなかったが、体はぐったりしており、目を虚ろに見開いたまま、何が起こっているのか知覚していないのだろう、無表情に怪物の顔のあたりをぼんやり眺めている。怪物の足には鱗が生え、西洋のドラゴンを思わせるどっしりとした形をし、非常に長太く、それ自体大蛇であるような尻尾をのたくらせていた。その怪物の足に、取り縋るように、だがまた半ば戦いを挑むように、一人の白い服を着た男の子が掴みかかっていた。恐らく捕われの少年の兄弟に違いない、瓜二つのその小さな横貌に非常に思い詰めた表情が凍りついている。手には小さな白い柄のナイフを握っているが、その余りの小ささが少年の果敢な戦いの空しさと儚さを告げて哀れを誘った。少年は怪物から全く相手にすらされていなかった。

　そこで、ふと百目鬼は奇妙なことに気付いた。その戦いを挑んでいる少年の白い服の背に、黒い奇異な形が浮かんでいる。見るとそれは山羊の頭をした典型的な悪魔の象形で、この小さな英雄の涙ぐましい努力の姿には余り似つかわしいとは思われなかった。　一方、捕らわれの少年の方は、やはり同じような白い服を着て、背中を向けていたが、そこには金色の十字架を額に生やした仔羊のマークが描きこまれていた。

　「……そいつが、あなたのお捜しの化け物の片割れですよ」少年が背後から近づいてきていた。「ほら、あっちにもう一匹……。あっちでは、仏陀が菩提樹に縛られて、手も足も出せないでいる……」

　少年の指差す方向を見遣ると、かなり離れた処に、やはり化け物らしい、今度は、銀紫色をした朧ろな形が見えた。

　百目鬼は慌てて、今見たばかりのキリストと怪物、そして世界崩壊の巨大壁画をカメラに収める。背後で、少年の声が続いた。

　「……ぼくはこの壁画の作者を知ってます。本当の名前は誰も知らないけど、みんな彼をミケランジェロって呼んでいた。勿論、ひとりで描いたんじゃなくて、元絵を作ってみんなを指揮してただけだけど。流れ者の画描きで、とても薄汚いなりをしてたけど、いい人だった。みんな彼が大好きだったけど、仲間には入らなかった。ぼくと同じように。ぼくたちは仲良しで、彼は色々誰にも話さないでいたことをぼくにだけ打ち明けてくれた。例えば、この青い化け物の別の名前……」
　「別の名前？」
　「彼はとても風変わりな宗教を信じてたんです。それがみんな……いや、連中と相入れないところだった。連中の指示通りに絵を作ってたけど、彼にとってはどの絵も別の意味を持ってた。そこの青い怪物の秘密の名前は《シヴァ》、大自在天ともいうインドの神様らしいけど、彼にとっては悪魔だった……」
　「じゃあ、この二人の男の子は？」
　「捕まってる方が《イマヌエル》、戦っている方が《カイン》」
　「……カイン？」百目鬼は訝しんだ。「カインというのは、弟を殺した男の名前だぞ。伝説的な、人類最初の殺人者だ」
　「この絵ではカインは弟の方です。そして、人類最後の救世主の一人になる……」
　「おかしな話だな」百目鬼は言った。「最後の救世主というなら、イマヌエルの方だろう。聖書にもそう出てくる。どこだったかは忘れたけど、イマヌエルは救世主の名前だった筈だ。……ほら、この絵だって、イマヌエルの方に《神の子》の徴がある……」
　言いながら、百目鬼は新しいことに気がついた。イマヌエルの服に描かれた十字架と仔羊のマークのことを言おうとしていたのだが、もっとそれらしい《徴》を見つけたのである。イマヌエルの両手に赤い穴が空いているのだ。間違いない。これは、この子供が聖者であり、十字架のイエス・キリストと同一の存在であることを意味している。それが悪魔の手に落ちている。だから、この壁画のキリストはあんなに惨めでひどい苦しみ方をしているのか……。

　百目鬼は、今度はカインの手の方に注目する。何故ならカインにも神につけられた徴がある筈だからだ。誰もカインを傷つけることができないようにと神がつけた奇妙な保護の徴〔スティグマ〕。聖書ではその有名な《カインの徴》、言わば殺人者の聖痕ともいうべきものは額に烙印されたというが、この絵の少年カインの額は横貌ということもあってか徴らしきものは見えない。だとすれば……。

　確かに、それはあった。少年の両手の甲に、奇妙な星の徴がある。星の角の数は七つで、しかもどうやら逆さまに描かれているようだ。言わば、逆七芒星形……。

　魔術の徴としてよく知られている形象に、「ソロモンの印章」とか「晴明桔梗」とか言われる五芒星形がある。それを上下逆さにした逆五芒星は、悪魔の山羊の頭部を象徴するといい、明白に邪悪な目的に使われる黒魔術の徴だという記事を、百目鬼がそのために今ここに取材に来ているオカルト雑誌のバックナンバーで読んだ覚えがある。だとすれば、今目にしているこの逆七芒星形も同様な凶々しい意味を帯びた紋章であるに相違ない。

　そして、星の角の数が、五本でも六本でもなく、七本である理由も思い当たる節があった。

　『カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍』聖書の初めの方に出てくる印象的な文言が脳裏に蘇る。そうだ、神はカインに言った筈だ、誰でもカインを傷つけるものはその七倍の復讐を受ける−それが《カインの徴》の意味だ。殺人者を罰するどころか、保護と特権を与えている。理解しがたい箇所だ。

　「カインというのは、神と最初に契約を取り交わした人物です……」少年が言った。「彼は最初に神から選ばれた人物、最初の選民だったのです……」
　「《カインの徴》は罪人の徴、入墨だよ」百目鬼は言った。「古代人は罪というのは穢れで、それは触れると伝染するものだと考えていたに違いない。カインは弟アベルを殺して穢れた。だから、忌み嫌われ、触れることすら悍ましく、殺すにも値しない男にされたんだ」
　「でも、その穢れは、《力》だった筈です。ひとを恐れさせる者はひとを支配する。カインの名前は、『鍛冶屋』の他に、『所有者』を意味するそうです。力の徴の持ち主、つまり、王様ですよ。……ところでアベルの名前の方は、正確にはヘヴェル、『空虚』という意味だそうですよ。」

　百目鬼は唖然として少年を見つめた。まるで怪物を見るような視線で。

　「……つまり」少年は更に静かな権威を込めて続けた。「カインは『空虚』を滅ぼした。ちょうど神が天地創造の時、『渾沌』と『虚無』を殺したように。だから、カインは神に選ばれたのです」
　「しかし、それは詭弁だよ」
　「でも、神がカインを選んだことは『事実』でしょう？　――『事実』というのも変な言い方だけど」少年の唇に傲慢そうな薄ら嗤い。「じゃあ、こういうのはどうです。カインは農作物を捧げたが喜ばれず、アベルは動物を殺して捧げたので選ばれた。そこで、カインは動物よりも高等な生物を捧げることを思いつき……」
　「神が人身御供を求めたというのかい？」百目鬼は冷笑した。「でも、聖書には《汝殺すなかれ》と書いてある。他ならぬ神その人から人間に下った戒律だよ」
　「キリストの死は人身御供じゃないでしょうか」
　「ぼくはクリスチャンじゃないから、よくわかんないけど、尊い自己犠牲というんじゃないかな」
「聖書は自殺を禁止してます。キリストがやったことは罪にならないんですか」
　「でも、イエスは生き返ったそうだよ。神は罪とはしなかったんだろう」
　「アベルは生き返らなかった。ということは、神はカインの殺人を認めたことになる。それに、実際、人身御供なんてザラにあった訳でしょう？　違いますか、ミスタ百目鬼。アブラハムとイサクの話位、ぼくだって知ってます。神は人身御供を求めたじゃないですか。」
　「でも、あれは試みで、神は本気じゃなかったそうだよ」
　「代わりに羊を、というわけですか。他にも古代ユダヤ人には贖罪の山羊という風習があったそうですね。でも、羊や山羊が何か悪いことをしたというんですか？　悪いのは人間の方じゃないか。神が善意を持っていると考える方がおかしい。神は不正で、依怙贔屓をし、しばしば悪に味方する。そんな気紛れな奴が、血に飢えていないと言えますか。」少年は得意そうに力説した。「神が神であるのは、善であるからでも正義であるからでもない。強いからです。圧倒的に強くて、人間を殺す力があるからですよ。だから人間を殺したカインは、神にも等しい特別な存在なんです」
　「それは誰の入れ知恵だい？　きみの言うその《ミケランェロ》のかね？」百目鬼は不快な気分を抑えながら尋ねた。「……それとも、きみ自身の考えかね？」
　「誰の考えでもありませんよ」少年は、悪びれたような皮肉な笑みを浮かべた。
　「きみはヘルマン・ヘッセを読んだことがあるかね」百目鬼はふと思いついたことがあって尋ねた。「『デミアン』という作品だ」
　「映画なら、ビデオで見ましたよ」
　「……映画？」
　「悪魔の子が出てくる映画でしょう？　六六六の話だ」少年は何か勘違いをしているようだ。「それって『ダミアン』の間違いじゃないですか？」
　「それは『オーメン』だろう」百目鬼は笑った。「でも、確かに『デミアン』と『ダミアン』は同じ名前だよ。訳語の違いに過ぎない。月の敬虔なネオ＝マニ教徒の家庭では、子供が十歳になると、記念にヘッセの『デミアン』を贈る風習がある。」
　「マニ教って、悪魔を信じてるんですか？」
　「……いや、基本的には光と善と知恵の神を信じている。善悪二元論だ。だがかなり複雑な修正を受けている。光の神と闇の悪魔の戦いというのが基本だが、マニ教では、光の悪魔の存在も認めている。ルドルフ・シュタイナーの影響らしい。その光の悪魔の名前はルシファー。最後には退けなければならないが、人間はこの悪魔の誘惑を受けなければならない。ルシファーは自我を目覚めさせ、美と愛を人間に教える。そして、光の道を人に示して、神へと導く……だが、もし知恵がなく、思い上がって誠実さを失うなら、ルシファーは偽りの光となり、偽りの神の処に連れてゆくという」
　「光の悪魔？」
　「ルシファーというのは誘惑者だ。忠告者でもある。一説によると、真の光の神からの《試み》の人格化とも言われる。時として、光の神に反逆し、光と光の争いを引き起こす。だが、神以上に、闇の悪魔には敵対的だという。闇の悪魔がサタンだ。マニ教では、堕天使と悪魔は別の勢力と考えられるから、サタンとルシファーを同一視しない。寧ろ、敵対関係にあるものと考えている。きみの言う、『オーメン』のダミアンは闇の悪魔の子、六六六を意味する。ところで、ヘッセの『デミアン』に出てくる不思議な少年デミアンのことを、マニ教ではルシファーの子と見なしている。ルシファーにも特別な数値が割り当てられていた……幾つかあったが、その一つが確か七七七……」

　そこまで言いかけて、ふと黙りこむ。

　……カインのための復讐が七倍なら、レメクのための復讐は七十七倍、ルシファーのための復讐は七百七十七倍……。

　奇妙な考えだ。百目鬼は自嘲しながら、だが、まだその全貌の見えない不吉で不可思議な暗示と無気味な符合に微かな戦慄を覚え始めていた。

　「……きみがさっき言ってた《カインの徴》の解釈は、その本に出てくるデミアンが語る《カインの徴》の解釈によく似ているんだ。それは《強者》の徴であり、自我の目覚めた者の徴、確かに、選ばれた者の徴を意味している。デミアンはその本の主人公の少年にその話をすることで、少年の自我に目覚めの火を灯すんだ」
　ということは――話しながら密かに思う――《カインの徴》とは、やはり《ルシファーの徴》のことだ。

　傲慢なルシファーの子デミアンは《カインの徴》を授ける。その数は七七七。逆七芒星形は、七七七の者の象徴だ。そして七の意味が《復讐》を意味し、最初のカインから子孫のレメクに受け継がれた時、それが七十七に増大しているのだとすれば、最後のカインには七百七十七倍の復讐の権利と力が与えられるのではないか。最後の救済者は最後の復讐者だ。

　この子供、壁画のカインの横貌から額の徴の有無は窺えないが、もし、そこに徴があるなら、それは七七七、つまりこの子供カインはルシファーの化身を意味することになる。額の徴……そう、カインに対応するイマヌエルの背中の仔羊は、まさしく額に十字の《徴》を持っている。これは、カインの額に隠されている三つ目の《七》を暗示しているのではないか？　更に、この悪魔ルシファーの子は、悪魔シヴァと戦う。ちょうどマニ教にいう光の悪魔が闇の悪魔と戦うように。

　……これはひょっとするとウケる記事になるかもしれないぞ。ゾクリとする快美な感触が胸の底にくちづけしてきていた。心臓に堕天使の金の翼がかすめたかのようだった。　

　「……ルシファーという名前は、《光を齎す者》を意味する。マニ教では、ギリシャ神話のプロメテウスがよく引合いに出される。プロメテウスは天上の火を盗んで、人間に文明を齎すが、これは神に対する反逆罪だった。彼は罰を受け、山に磔にされて、生きながらその臓物を鷲についばまれる。更に神々はパンドラという女に災いの入った壷を持たせて人類に派遣する。ルシファーはエデンの蛇だ。蛇は人間に知恵の実を与える。だが、そこに罠もある。《おまえたちは神々と同じようになるだろう》という誘惑の言葉だ。知恵はしばしば傲慢の罪を齎す。思い上がって自分は何でも知っていると思い込むことさ。だが、そんな有頂天はもう知恵ではない。むしろ幻想であり欺瞞でしかない。自分が本当は知らないことまで知っている、自分は神だと思い上がる。実際は、ちょっと賢くなっただけなのにね。アダムとイヴが楽園を追放されたのは、せっかく知恵がついたのに、その知恵の限度を弁える知恵に欠けていたからだ。ルシファーは人間に知恵の実を与えてくれた恩人だが、人間はその知恵の実をよく消化できなかった。本当に賢くなるには謙虚でなくてはいけないという教訓だよ。さもないと、ルシファーが折角齎してくれた光は偽りの光にすぐ変わってしまう。……これはぼくの意見だが、楽園追放で本当に悪いのは人間なのかも知れない。追放されたのは、蛇の好意を無にしたからさ。きっと人間は勝手に傲慢になったんだろう。そして、自分の罪や失敗を蛇のせいにした。恩を仇で返したわけだ。ルシファーは人間のせいで悪魔にされ、ルシファーを悪魔に変えてしまった罪、つまり神よりも寧ろルシファーに対して本当に悪いことをしたので、アダムとイヴは楽園から追放された。それは最初の救世主への忘恩と裏切りの大罪だ。ルシファーを正しい導き手にするのも、邪悪な悪魔にするのも、要はその人次第だ。人間は己れの内なるルシファーに対して責任がある。人間はルシファーを助けなければならない。自分の救済者を救済し、自分の魂の導き手を導かねばならない。」

　百目鬼は、子供相手に何を力説しているのだろうと半ば思いながらも、自分の新しい思いつきに酔い痴れ始めていた。
　そう、ルシファーは最初の救世主、これはイケる。だとしたら、最後の救世主であってもいい訳だ！　

　百目鬼の頭の中は、既に雑誌にでっち上げるための記事のことで一杯だった。この仕事を始めてから、これ程興奮したことは一度もなかった。昔、栄えある一流新聞の記者だったというプライドも手伝い、今、三流のオカルト雑誌の雇われライターに落ちぶれて、根も葉もない雲を掴むような怪しげな話をさも尤もらしそうに捏造するというやくざな仕事を軽蔑しつつも、結局嫌らしくシニカルに続けている自分にずっと嫌気がさしていた。自分の仕事が馬鹿げたものだというのが百目鬼の持論であり、貫き通して来たスタイルであり、また、最後の意地でもあった。しかし――
　とうとう、俺も毒されてきたかな……。百目鬼は己の姿を滑稽だと思ったが、悪い気はしなかった。確実に売れるネタを掴んだときの、あの遠い輝かしい昔の喜びが、記者根性が立ち戻ってきたのである。

　サンキュー、ルシファー。あんたのお陰で、俺のこの魂にも光と火が齎されたぜ。

　「おじさんの言うことがほんとなら……」少年は言った。「ルシファーはきっといつか人間にひどい復讐をするだろうな」
　「何だって？」
　「だって、最初の救世主を人間は裏切ったんでしょう？　」

　百目鬼は色蒼褪めた。人類最後の救世主ルシファーは、七百七十七倍にまでツケの溜まった復讐を人類に向ける。……いや、全部、俺の考えから出たことだ。百目鬼は、思わず有頂天になって展開していた自分の浅知恵そのものから、今、思いがけない《復讐》のナイフでグサリとやられたことを悟った。

　少年は更に続けた。「……キリストもきっと同じくらい怒ってるよ。だって、助けにきたのに殺されたんだから。人間はいつかきっとルシファーとキリストに滅ぼされるんだ。きっとこの青い怪物は、薄汚い人間の本性の象徴なんだろうな」

　薄気味悪いことを言う子供だ……。百目鬼は少年の考えを心の上辺で拒絶しながら、少年の言葉に促されて、再び壁画を眺め直し、キリストと二人の少年と怪物の関係に違った角度から暗い光を投げかけてみる。そこから浮かびのぼってくる新しい朧ろなパターンの暗澹と語るものをどう受け止めてよいか分からなかった。

　もし、神の視点からこの壁画を見たら、どういう風に見えるのだろう。神の立場からすると《救済》というのは、何を意味するのだろう。本当に《人間》は、神にとって愛するべき存在なのか。百目鬼には自信がなかった。無論、それは百目鬼に信仰というものが欠けているからなのかも知れなかった。だが、神が人間を愛しているというのは、手前勝手な仮定に過ぎないのかもしれない。もし、違う前提で考えるとしたら……。

　怪物《人間》に自分自身を人質に取られたキリスト。醜い怪物《人間》は、神の子を十字架に縛り付け、ただ悪用して見捨てている。実際、もう二千年以上も教会は十字架のシンボルをまるで天から取った人質のように掲げて、救済という身代金を巻き上げ、降ろそうともしない。ひょっとしたらキリストは本当にいまも苦しみ続けているのかも知れない。《最後の救済》とは、怪物《人間》から《神》を救うことなのだとしたら？《救済》の対象は《人間》ではなく、《神》なのだとしたら？　誰が《神》を救うのだろう？　残るものは《悪魔》だけだ。だが、《悪魔》とは何だろう？　われわれ《人間》が《悪魔》と名付けているものは、本当は、何を意味するのか？　われわれは知らないのだ。ちょうどわれわれが自分達が《怪物》であるかもしれないことを知らないように。われわれはわれわれの正体を知らない。《怪物》であることは、われわれの思考の盲点になっている。《無知》であることが《知恵》の盲点であるように。

　われわれは《神》を知らない。いるのかいないのかも知らない。われわれは《神》を信じることができるだけだ。或いは信じないことができるだけだ。ところが、信じる信じないに拘わらず、われわれは《神》をつい自分にとって好意的な存在であると仮定してしまう。とりわけ、現代においてはそうだ。神を恐れる人もいる。だが、神はそんな人にとっても縋りつくべき存在なのだ。神の怒りを信じる人は、神による救いを信じる人でもある。だが、どうしてそうなのか？

　われわれは《人間》を知らない。《神》を知らない以上に、ことによると知らないのだ。そして、それ以上に、《悪魔》については全く何も知らないでいる。

　もし、《人間》と《神》がいて、更に第三者がいるとするなら、それは一体何者であるのか。《悪魔》は人間の敵だが、神の敵とは限らないかも知れない。寧ろ、神にとっては、《悪魔》は《救済者》として現れるのかもしれない。

　百目鬼は無気味な思いがした。神を人間から救済しようとする悪魔ルシファー−本当の悪魔とは、人間のことなのかもしれない。壁画の少年カインのナイフは誰に向けられているのか。悪魔こそが神を愛していて、人間に抗議のナイフをつきつけているのか。　怪物に捕らえられている少年の名前は《イマヌエル》、《神はわれらと共にいます》という意味だ。われらと共に−われら人間と共に、つまり、この青い怪物・悪魔シヴァと共にいる。

　そしてカインはいつか七百七十七倍になるだろうナイフを、怪物《人間》に向けている。この少年が《人殺し》であることと《最後の救済者》であることはそう考えれば矛盾しない。カインは《神》を助けるためにいつか《人間》を皆殺しにするだろう。実はそのためにこそ、聖書の《神》は、わざわざ《人殺し》に特別な徴を与えておいたのではないのか。それはいつか《人間》を滅ぼすという遥かな裁きの約束ではなかったか？　《ミケランジェロ》よ、おまえは狂っている。だが、狂っているのはこの壁画を見てこんなことを考えてしまう俺の方だろうか。それともこの世界そのものが狂っているのか。或いは、ひょっとして、《神》が狂っているのか？

　百目鬼は、この壁画を描いた男に会ってみたいと思った。

　「きみ、その《ミケランジェロ》は、今どこにいる？」
　「あなたはもう会っていますよ」少年は鵺の頭を撫でながら言った。
　「何だって？」
　「さっき、《髑髏の祭壇》を撮影されてたでしょう」少年は陰気な声で言った。「あれが――あの蝋だらけの髑髏が《彼》ですよ」
　「……死んだのか？　何故？」
　「墜ちたんです……あそこから」

　少年が指差した天井の方向に百目鬼は振り向き、振り向きざま、アッ、と叫んでいた。






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  <title>自同律の変</title>
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  <description>単独性である〈この私〉を抹消して現れる形而上学的悪魔〈別人〉がとりわけ〈存在＝自己〉の化身たる〈その私〉として現れる様相を考察。また、カフカ『変身』と荘子「胡蝶の夢」にも言及。</description>
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  <title>不可能性の問題（1996）試論</title>
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  <description>九鬼周造の偶然性の形而上学の思想的延長線上に埴谷雄高の不可能性の文学を位置づけつつ、様相の観点から、レヴィナスの描いたイポスターズ論の曖昧な夜を批判的に解明し、非人称のイリヤの真相に迫ろうとした作品。</description>
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  <title>アポスターズ―背教の定位</title>
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  <description>レヴィナスのイポスターズ論を睨みながら、彼に背教する形での思考主体の定位であるアポスターズという運動を幻視する試み。
ここでは存在の非人称性に代わって、思考の不可能性が全ての始まりに置かれます。
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  <title>奇蹟論</title>
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  <description>埴谷雄高・九鬼周造・楳図かずお：奇蹟の起きる不可能的現実性＝出来性（エネルゲイア）と虚体の創造についてのエッセイ（2004/11/15）</description>
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  <title>形而上学的〈風〉についての考察</title>
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  <description>〈存在〉と〈無〉に先立つ形而上学的概念〈風〉の解明。</description>
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  <title>ドグラマグラと悪魔の必然性</title>
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  <description>「不可能性の問題」番外編。
アリストテレス様相論理学を援用し、不可能性と偶然性の大小対当の観点から夢野久作『ドグラ・マグラ』における〈胎児の夢〉の四つの様態を解明します。
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